広島経済大学岡本ゼミが2007年から行っている沖縄戦跡徒歩巡礼「オキナワを歩く」に、写真家 田中正文が同行し撮影した慰霊・戦跡・証言者など、沖縄戦に関係する記録写真。

戦跡巡礼

第32軍司令部跡

首里城の地下15~35mに総延長1Kmの規模で建設された第32軍司令部壕の名残を伝える、関係施設跡。何の案内も標識もなく、訪れる観光客もいない戦争遺跡です。しかし、ここに生花が絶えることはありません。



第32軍司令部跡第32軍司令部跡   第32軍司令部跡第32軍司令部跡

鎮魂の碑

「陸上自衛隊八重瀬分頓地」内、鎮魂の碑に礼拝を捧げる。戦時中「陸軍第32軍24師団歩兵第89聯隊」が展開した「航空自衛隊与座分頓地」のある隣の与座岳とともに、周辺一帯は「沖縄戦跡国定公園」に指定されています。


鎮魂の碑鎮魂の碑

冨盛の石彫大獅子

1600年代に冨盛村の「火除け」として設置された「冨盛の石彫大獅子」が、沖縄戦の最中に働いたのは「銃弾よけ」。皮肉にもそれは、最後の防衛線として八重瀬岳山頂に布陣した日本軍から発砲される弾丸から米兵を守ることだった。


冨盛の石彫大獅子冨盛の石彫大獅子

ひめゆり学徒病院壕

県立第一高等女学校と沖縄師範学校女子部の生徒・教員らで組織され、沖縄6高女の看護学徒隊中最多(2百名以上)の犠牲者を出した「ひめゆり学徒隊」の勤務した病院壕。


ひめゆり学徒病院壕ひめゆり学徒病院壕