広島経済大学岡本ゼミが2007年から行っている沖縄戦跡徒歩巡礼「オキナワを歩く」に、写真家 田中正文が同行し撮影した慰霊・戦跡・証言者など、沖縄戦に関係する記録写真。

沖縄戦の今

2010年2月15日の沖縄戦

2010年2月15日の沖縄戦

沖縄戦の激戦地の一つ、安里52高地(米軍呼称:シュガーローフ)にほど近い那覇市真嘉比(まかび)で新たに発掘された172柱の遺骨が、小袋に入れられ、平和祈念公園への移送を待っていました。

旧海軍司令部壕

旧海軍司令部壕

将校の自決現場に残る生々しい手榴弾痕です。大田実海軍司令官が
「沖縄県民斯ク戦ヘリ」で知られる訣別電報で沖縄県民の敢闘の様子を
訴え後事を託したのち自決したのも、この壕内でした。

沖縄本島南部

沖縄戦終焉の地-沖縄本島南部

那覇空港着陸間際、飛行機は沖縄本島南部上空をゆっくりと旋回しました。徒歩巡礼の最終地点である沖縄戦終焉の地、喜屋武(きゃん)岬と摩(ま)文(ぶ)仁(に)の海岸をよく見ておけよという意味だったでしょうか。

喜屋武岬

沖縄戦終焉の地-喜屋武(きゃん)岬

沖縄本島最南端、喜屋武岬。誰かが欄干を乗り越えて手向けた、真新しい燃えさしの線香(うくう)。ここは、眼下の海に小石を放る所でも、吸殻や空き缶を投げ捨てる所でもなく、死者の痛みを想い、深く頭を垂れて礼拝する場所です。

平和の礎(いしじ)

平和の礎(いしじ)

広島県呉市から一般参加した渡辺敞(あき)子さんにとって、学生たちと歩くこの戦跡巡礼は、沖縄戦で斃れた肉親の最期を知るための旅でもありました。
「おとうさん!」。愛するひとの亡骸(なきがら)をいたわり愛(いと)おしむように、渡辺さんはご尊父の刻銘に手を伸ばします。それは、ひんやりと冷たい御影(みかげ)石でした。ご遺骨はまだ、誰も知る者のない沖縄の地に眠っています。