広島経済大学岡本ゼミが2007年から行っている沖縄戦跡徒歩巡礼「オキナワを歩く」に、写真家 田中正文が同行し撮影した慰霊・戦跡・証言者など、沖縄戦に関係する記録写真。

元積徳女子学徒隊員 沖縄戦を語る(名城文子氏、仲里ハル氏)

積徳(せきとく)学徒隊

1945年3月23日、沖縄積徳高等女学校4年生56名が豊見城(とみぐすく)村の豊見城城址にある陸軍第24師団第二野戦病院に配属された。入隊した25名のうち4名が犠牲となった。

元白梅女子学徒隊員 中山きく氏元白梅女子学徒隊員 中山きく氏

私立積徳高等女学校4年生で編成された「積徳学徒隊」が第24師団第2野戦病院(通称・山3487)入隊後に配置された、豊見城(とみぐすく)城址内の人工病院壕。漆黒の闇の中で、元同学徒隊員、名城文子さんの証言に耳を澄まします。

「糸洲壕」入口の「鎮魂之碑」前で、元積徳学徒隊員、仲里ハルさんの証言を拝聴します。同学徒隊が解散に当たって病院長から受けたのは、「必ず親元へ帰りなさい。決して死んではいけない」という訓示でした。

元積徳学徒隊員 名城文子氏

元積徳学徒隊員 名城文子氏

米軍の侵攻に伴い、積徳学徒隊はここ糸満の「糸(いと)洲(す)壕」へ撤退。米軍の馬のり攻撃に遭いますが、犠牲者を最小限(3名)にくいとめたのは、解散命令が米軍の猛攻がやんだあとの6月26日に下ったからだといいます。

元積徳学徒隊員 仲里ハル氏

元積徳学徒隊員 仲里ハル氏

元積徳学徒隊員、仲里ハルさんの体験談に、学生たちが涙します。仲里さんの話は、「この平和な現代では想像できないこと」ではありませんでした。それは、彼女の訴えが親子の情愛という普遍的なテーマだったからです。

積徳高等女学校慰霊之碑

積徳高等女学校慰霊之碑

戦時中、南部の戦線に従軍した5校の高等女学校のうち、同校だけが糸満市に慰霊塔を持ちません。慰霊碑は、同校発祥の那覇市松山、大典寺境内に建立されています。